9回目の3.11

 昨日、BS1で3.11~3.14までの福島第1原発のドキュメントをやっていた。

爆発を防ぐためベントをやる、ただ内部の状況がわからない。放射線量の数値すら

わからず、津波で電源もない真っ暗な状況の中、バブルを開けに行かなければならい。

『私がいきます。』 次々と手を上げる。

責任者である、吉田所長は多分3.11に死を覚悟したのかもしれない。

まさに特攻隊。なにがそう、させるのだろうか。遠く離れた本社、官邸と現場の切迫感の差異。

多分、後日この番組を見たであろう日本の上層部(?)はどう思ったのだろうか・・・?

知る必要もないことだろう。

 

約5年前、ちょうどブログを辞めた時にだが、田舎(山形)に帰るのにいつもは東北道だが、

なぜか、常磐道で行こう事になった。

福島第1原発のところで高速を降り、原発の脇を通って再び

高速へ・・・・。ICの名前は忘れた。

原発への道は全て封鎖され、係員がいてダンプだけがひっきりなしに通っていた。

震災4年後くらい。

高速に来れば、道路脇におびただしい数の汚染土をいれた袋が

’ダーーッ’と積んである。そして、一定間隔で放射能数値を知らせる表示灯が何kmも続く。

 

つくづく、『こんなところに住めるか!』

 

今、浪江町は封鎖解除されたのに1000人も住んでいないらしい。

 

石巻、女川町までいって。一泊

震災直後、妻と車で松島、石巻、女川町にいき。

果てしなく続く瓦礫の風経を見て。自然の偉大さもそうだが

人間のチッポケさを強く感じたのを思い出す。

 

いくら整備されても心は、癒される事はない。

ただ、まだ津波は自然だから受け入れる。

 

でも、原発はダメだ。本当の人間の愚かさの象徴でしかない。

 

日本は原子爆弾の被曝国であるとともに

世界最大の原発事故国でもある。

 

それがなんだ。核軍縮の1番のリーダー国でなければならないのに。煮え切らない意思表示。

自然エネルギーでも、遅れを取っている。まだ令和が定着していない。

 

 

大和民族ってなんだろう。

 

 

自分の命を顧みず、手を挙げた奴らは、なんだったんだろうか。

よく、再稼働の決断ができるもんだ。

 

「神が怒っている。コロナを送り込んできた。」

 

 

 

:tanno: