孫とのライン

手帳購入

普通は年が開ける前に

用意していたが、年のせいだろう。年が明けるという

新鮮さ?が薄れいているのかも。

いろんな事にルーズになる。

 

見開き1ヶ月、何十年も使っているが、

同じやつがない。ケータイもガラケーだし。

 

予定を書いておかないと忘れる。歯医者の予約なんか

確実に頭から、消えている。

 

予定を手帳に書いておくという事を

ほとんどの人がやっていない??のかも

 

まず、字を書くという事が日常にあるのか?

年賀状をもらい、一言書いてあった・

「こういう 字 を書くんだ」

こんな事に新鮮さを感じる。

 

「文章を書く」という行為とはなんぞや。

など考えたいがそういった思考は億劫になってきている

 

ただ、確実に人間が変質していっているのだろう、と感じる。

 

 

小1の孫が シンガポール からラインで、いろいろ書いてくる。

漢字も「書く」という行為がなくなる。

変換でしっかりした文になっている。

 

変換して、ママに見てもらうらしい。

「字をしっかり書く」など、意識がない

なんども手を動かして覚える。

などの行為は必要ない時代。

 

昔は製図の鉛筆の線そのものが個性だったし、センスだった。

競って「腕を磨いた」

 

時代が進むということは人間のすばらしい文化と引き換えらしい。

「文化」という世界はAIにはあるのかな?

 

「感見」「あやふやさ」など受入れ

対処するのが人間かと思っていたが

全てを「はっきりさせる」時代。

 

人生「引き分け」でいいと思うけど! 

 

 

 

:tanno: