「丹野君。前に乗りなさい!」

木村事務所の時代をもうちょっと整理してみよう。

 

木村さんはたぶん、最初慶応大学に入り、建築をやりたくて中退して早稲田に入り直した。

早稲田では村野賞をとり、山下事務所でNHKを担当したと聞いている。

30才前に退社し、アメリカのコロラド大(?)に留学。

30才半ばで帰国し、設計事務所を開設した。

 

私が入った頃は「プラザ新大樹」の工事の最中であった。

木村さんのお父さんは大学の数学の教授で、木村不動産の社長である。

幼稚園のあった明治通りと大久保通りの交差点に確か13階建の複合ビルを建てていた。

Fが「てふてふ」という喫茶店。2Fから森英恵さんの事務所。

Fが木村不動産と木村設計事務所。最上階が木村さんの住居だったと思う。

 

車はセドリックで木村不動産所有だったが、

ほとんどは木村さんが使用していた。

「木村さん。今日出かけます?」

「いや、一日事務所だよ。」

「だったら、川口の中島医院の現場に行くので車貸してください。」

「いいよ」

Tシャツ、ジーパンで、若造が黒塗りのセドリックの後部座席にどんと座って……。

「岡田さん(運転手)川口まで。」

 

「丹野君。前に乗りなさい!」

 

思い出すと冷汗である。

私なら即刻「クビ」にしている。

あくまで、私の若き日の思い出である。

 

そもそも私が木村事務所に入ろうとしたのは「新建築」に発表された「おやじの家」が

ずっと頭に残っていたからである。

なんの変哲もない直方形の寄棟平屋建を南面中程をくり抜いた木造住宅に、

すごいデザインセンスを感じた。

事務所に入ってからも、そのデザインセンスに圧倒され続けた毎日であった。

村野賞、ウィーン国際コンペ3等、ペルージァ国際コンペ1等と、

順調に建築設計の道を歩んでいた人だった。

又、木村さん自身も非常に環境に恵まれた人で、仕事も豊富だった。

お父さんは大変な人格者だった。

ちなみに私の妻は、お父さんの下で働いていた。

退社後、木村さんとは、私の結婚式で会う事となる。

これも色々あったが、書くのをやめる。

 

若くして倒れられ、さぞ無念だったろうと思う――。

 

昔のことをこうやって文章にすると、色々な事が思い出される。

特に自分の建築に対する考え方、当時興味を持っていた建築家、

又、どんな本を読んでいたか、どんな建物をつくろうとしていたか…。

 

ブログも悪くはない。

 

次は25才~30才までの、主に倉田研究室での事がテーマになるが、

書けるかな……。

 

 

:tanno: