建築家 木村傳

木村傳先生が亡くなった。

78才との事。

木村傳設計事務所は、私が最初に勤めた会社である。

24才前後の約2年間の勤務だった。

 

213日、お通夜に妻と共に行ってきた。

20才前半の事なのでほとんど忘れていると思ったが、

先生の写真、当時のスタッフの顔をみたら鮮明に思い出すことができた。

 

吉田さん、山本さん、児野、悦ちゃん、英子さん

本当に久しぶりだった――。

 

 

振り返ってみると、大学5年目で家から仕送りがなくなり、

竹中工務店でのバイトが始まったのが社会へのスタートだった。

ここで約1年半、建築の基礎をしっかり教わった。

偶然にも席が河西の前で、全く社員同様に扱ってもらった。

 

1月に、「入社するのか」と聞かれ

「いいえ。設計事務所へ行きます。でも、当分置いてください。」

 

8月頃、大学4年の時の課題をもって木村先生に面接されたのが最初の出会いである。

 

木村事務所には10月頃からの勤務だったように思う。

当時、国際コンペの走りで、木村先生はウィーンの国際コンペで三等になり、

ペルージァのコンペの最中だった。(結果1位になった)

 

ものすごく勢いがあり、活気があった。

 

約2年間勤めたが、パイオランドビル、中野邸、中島医院をやらせてもらい、

与野ハウス、暁教育図書本社ビルをやっている頃に恩師である倉田先生に

倉研に来い”という、私にとっての絶対命令で退社した。

 

24才前後で、いろいろな仕事を担当させて頂いた。

今考えると、空恐ろしい事である。

 

わがままな私を、よく広い気持ちで使って頂いた。

 

感謝感謝である。

 

先生が30代という事もあるが、よく食事、飲みに連れて行ってもらった。

九兵衛で寿司までごちそうになった。

 

いろいろな思い出がいっぱいある。

本当に楽しい時間だった。

 

ありがとうございます”

 

 

ご冥福をお祈り申し上げます―――

 

 

:tanno: