あけまして、おめでとうございます

誰が考えたのか、いつからなのかわからないが、1年に正月とお盆をもうけて

まとまった休みをとるという制度,習慣は賢いなと思う。

 

年の初めにあたって、東北大震災と原発事故について考えてみよう。

 

津波に関しては、太古の時代から出会ってきた事柄だから、今後は多少の対策と、

あとは経験を活かして逃げればよい。(H-15Mの防波堤なんてとんでもない)

問題は原発事故である。

使用済燃料棒の行き先も考えずに、なんとかなるという思いで相当数の原発を

つくってきたのが現実である。

 

これほどの人類に関わる人為的な、将来も危ぶまれる事故に対し、

今いろいろなことが明るみになりつつある。

情報を隠す。放置して逃げる。数値は本当に正しいのか。対策は本当に適正なのか…。

 

単なる原発事故だけなら、東北大震災でみせた人々の助け合うすばらしさを見ていると、

時間をかければ解決するだろう。

問題は原発事故の対応、その後の過程で”人間の本性”を白日のもとに晒したということである。

 

人間は、知恵を出し合い助け合いみんなで生きるというすばらしさと、

ずる賢い自分のことしか考えない非常にいい加減な動物であることがはっきりした。

 

人間は価値基準を最終的には”人間としてどうか”という考えで生きてきた動物だと思っていた。

原発事故はまさに”人として”という価値観を消しかねない事件だと言わざるを得ない。

昔人間は神を殺し、今度はひょっとして、ひとを殺そうとしているのかな?

 

建築は”人間”を対象とした”学問”であると先生に教わった。

そこには”ユートピアとは何ぞや”という問いかけがあった。

 

人間の人としての根本が揺らぐと、オリンピック,芸術…すべてが”虚構”となる。

 

今世界を、地球を支配しているのは、おろかな人間がつくりあげた”システム”かもしれない。

オバマも胡錦濤もプーチンも、大きなことは何も決定できない。

巨大なシステムのオバケ(神)が勝手に歩いている。

人間としての選択肢なんて、ほとんどないのかもしれない。

 

新年早々こんなブログになった。

いやな年明けである。

 

正月もお盆も単なる長い休み、ということになるのかな……。

 

よい年になりますように―――。

 

:tanno: